Interview ご家族の思い出や成長に寄り添いたい。「伊豆おはな」に込めた想い
熱海で活躍するプレイヤーたちのインタビュー第二弾。前回の「カフェ・バール・クァルト」店主・加藤麻衣さん(カトマイ)に続き、今回は、介護タクシー「伊豆おはな」を運営する河瀬さんご夫婦に話を聞いた。伊豆おはなさんは、高齢化率46%と、全国でも突出して高齢者が多い熱海において、なくてはならない存在に育ちつつある。
しかし、もともとふたりは首都圏在住。都心で働いていた時には「熱海で介護タクシーを始める」なんて思いもしなかったそうだ。なぜ縁もゆかりもなかったまちで、介護タクシーという選択肢が生まれたのだろう。
「自分の使命はなんだろう」と、ずっと思っていた
河瀬 豊さん(以下、豊さん) もともと私は建築専門の人材派遣会社の営業企画、妻は看護師として働いていました。移住のきっかけは、若い頃から返済していた実家のローンが完済したこと。肩の荷が下りたことで、ようやく「自分たちの住みたいところに住もう」となったんです。
河瀬愛美さん(以下、愛美さん) お互い海とイルカ、ハワイが好きで、いつか海の近くに住みたいと話していました。三浦半島や房総半島、江ノ島なども見て回りましたが、海が見える今の物件に惹かれて購入を決意。まずは週末だけ熱海を訪れる生活が始まったのが、2011年の8月でした。
-おふたりとも熱海に地縁などがあったわけではないんですね。なぜそこから移住、そして起業となったんでしょうか。
豊さん 平日東京、週末熱海という二拠点生活を始めると、必然的に両方の生活を比べてしまうんです。平日は毎日目覚まし時計の音で起こされて、ベルトコンベアで運ばれているかのように満員電車に乗って通勤。延々とパソコンに向かって仕事をして、外が真っ暗になってから帰宅する。季節の移り変わりもわからないような、せわしない生活でした。
一方で週末は、日の出とともに目が覚めて、ふらっと海に出かけて美味しいご飯を味わって食べる。自然との距離感が近く、季節の移り変わりも敏感に感じ取れることができました。熱海での生活を「豊かだな」と思うようになっていたんです。
愛美さん 週末移住をはじめてから10ヶ月くらい経ったとき、購入した物件の不動産屋さんが、自分たちのお客さんを集めて交流会を開いてくれたんです。そのとき、別荘使いや週末移住だけではなく、完全移住している人が意外と多いことに驚いて。熱海だったら首都圏まで通勤範囲内ですし、移住もいいかなと思うようになりました。
豊さん 徐々に熱海の人たちとの交流も広がっていき、熱海で起業した人たちと話す機会も増えていきました。「熱海=観光地」のイメージしかなかった自分のなかで、「熱海で暮らす」「熱海で起業する」という選択肢が出てきたんです。
-「介護タクシー」という選択肢は、どうやって生まれたんでしょう。
豊さん 私が10歳の頃、事故で死にかけたことがあったんです。体をまったく動かせない状態でICU(集中治療室)で3ヶ月間過ごし、その後も8ヶ月間ほど入院しました。 熱海はご高齢者が多いまち。狭くて急な坂や階段で苦労しているお年寄りの姿が、過去に事故で体が動かなくなった自分と重なりました。体が不自由な方やご高齢者のサポートをするためにできることはなにかと考え、熱海で「介護タクシー」をはじめようと決意したんです。
-でも、それまでのお仕事とは全然違う職種ですよね。起業すること、会社を辞めることに不安はなかったですか?
豊さん 東京で働きながらも「このままでいいのだろうか」「自分が大事故で助かったのには、何か理由があるはずだ」とずっと思っていたんです。不安や躊躇はなく、むしろ探していたものがようやく見つかった、という嬉しさのほうが強かったです。
愛美さん 熱海の人たちは「え!会社をやめて起業!?」って心配してくれましたけど、夫は絶対に需要があると思っていました。
介護経験ゼロからのスタート
豊さん 妻は看護師の資格がありますが、当時の私は看護も介護も未経験。会社設立のための書類準備などをしながら、介護の資格やタクシーの運転に必要な自動車第二種免許を取りに行ったり、老人ホームで働いて経験を積む日々でした。
会社を辞めてから起業するまでの約10ヶ月間は、やることはたくさんありましたが、希望に満ちていましたね。スタートしてからが不安との戦いでした。
-実際に事業をスタートされて、何が一番の不安・課題でしたか?
豊さん やはりお金です。事業として続けていくためには、ある程度利益を生む必要があります。ですが、介護報酬額が法律で決まっている以上、そこで利益を出すのが本当に難しかった。会社員時代とは違って、すべて自分で決断しなければいけない大変さもあり、実際に事業をスタートさせても1〜3年はまったく余裕がない状態でした。
愛美さん そんなときにmachimoriの市来さんから「99℃〜Startup Program for ATAMI2030〜」のことを知らされて。夫は「毎週木曜の夜なんて行けないよ」と言っていたんですけど、私は絶対行かなきゃって思ったんです。
愛美さん 夫婦で起業しているところの難しさで、夫婦であっても、社長の気持ちや立場ゆえの苦しさってわからないんです。当時、夫は社長としての苦労や悩みを相談できる場所がありませんでした。「99℃」の場だったら、彼の悩みを相談できる人が来るんじゃないかと思ったんです。
夫婦だからこそ遠慮なく言い合いしてしまうことってありますよね。私は看護師としての経験があるから、「こうしたら?」って口出しをして衝突することも多くて。でも、ケンカしても同じ家には帰らなくちゃいけない…。「二人は仲良いね」って言われることが多いんですけど、起業してからの1〜2年はケンカが絶えませんでした(笑)。
ケンカしたり疲れていても、毎週木曜日に参加するとお互いスッキリするんです。あのタイミングで99℃に参加できたことは、事業にとっても夫婦にとっても、本当に良かったです。
豊さん 99℃で出会った人たちは、いまでもお互いの事業のことを自分事として考えてくれています。ひとりでできることには限界がありますし、連携することで生まれることもあります。それを教えてもらいました。
介護の視点を入れた「観光サポート」
豊さん 今期で「伊豆おはな」は6期目を迎えました。昨年度の5期目にようやく収支トントンになったのですが、それは日々の通院サポートに加え、「観光介護タクシー」に力を入れたことが大きいと思います。 観光サポートをさせていただくお客様のなかには、「花火を10年ぶりに見ました」「温泉に20年ぶりに入りました」という方も少なくないんです。かつての私がそうだったように、病室で天井だけ見ているような暮らしをしている人にも旅を楽しんでほしいし、その受け皿になりたい。
愛美さん 私たちにとって初めての観光のお客様だったのですが、その方は末期の癌を患っていました。余命半年を過ぎてから、改めて自分自身のことを考え、会いたい人に会いに行こう、行きたいところに行こうと思ったそうです。その方が最後の旅行として選んだのが熱海でした。 立ち上がるのすら大変な状態なのに、笑顔をたくさん見せてくれて。別れ際に「すごく楽しかった」と言ってもらえたことを、いまでもよく覚えています。彼女のおかげで、旅行を諦めている方々の観光サポートにも向き合いたいと思ったんです。
「『自分が亡くなってからも、写真はどんどん使っていいからね』と言ってくれました。伊豆おはなのパンフレットなどでも彼女の写真を使わせてもらっています」(愛美さん)
愛美さん 99℃の講師陣方のアドバイスもあり、パンフレットなどの販促ツールを作ったり、ホームページやブログに「観光での入浴介助」と入れるようにしたり、情報を必要としている方にちゃんと届くように、意識するようになりました。
豊さん それまで地域の通院サポートに関しては、ケアマネージャーさんから依頼をいただくことがほとんどで、これといった営業をしてこなかったんです。改めてお客さまのほうを向いて発信するようになってからは、年間の観光サポート件数も、59件から172件と前年度に比べて3倍近く増えました。
いま、国としてもユニバーサルツーリズム(※1)を促進していますが、全国的に見ても車椅子で乗れるタクシーは少ないですし、まだまだ環境が整っていないのが現状。今後は、旅行を諦めている人たちのサポートがもっとできるように、旅行業の資格も取りたいと思っているところです。私たちの存在で、旅行に踏み出してくれる方が増えると嬉しいですね。
お客様にとって「家族」のような存在でありたい
-では最後に、これから「伊豆おはな」としてどうなっていきたいかを教えてください。
愛美さん 私たちのお客様のなかには、長くお付き合いをさせていただく方が多くいらっしゃいます。 南伊豆の病院に入院されているお客様なのですが、最初のご依頼は、東京で暮らす娘さんの部活動の発表会を見に行くための移動サポートでした。その後も、娘さんの成人式で家族写真を撮るため、大学の卒業式に参加するためにと、家族の大事な節目にお声がけをいただき、介助させていただいています。
ほかにも、お子さまの幼稚園の卒園式や小学校の運動会に参加するために、継続してご依頼いただく方もいらっしゃいます。前回お会いしたときに比べてお子さんが成長していて、家族の歴史というか、成長に寄り添えるってすごいなと思いました。
豊さん 私たちを信頼してくださって、大事な節目にご連絡をいただけること、そしてそのご家族の思い出や成長に寄り添えること。本当にやりがいを感じますし、そういう大切な時間を共有できることがとても嬉しいんです。
愛美さん 「おはな」ってハワイの言葉で「家族」という意味なんです。ご依頼いただく方の“家族の一員”のような存在として、今後もお客様に寄り添ったお手伝いをしたいです。会社設立6年目にして、ようやく会社の名前の意味に近づいてきたなと思います。
通院や日々の生活サポート、そして観光介護のサポート、どれも私たちの大切な使命です。今後は、熱海だけでなく、伊豆半島全体に家族のような暖かいサービスを提供できるようにしていきたい。 そのために、いまはちょっと忙しいけど頑張る時期かな、と。頑張って余裕を持って仕事を回せるようになったら、もう一度夫婦でハワイに行きたいですね。
※1:ユニバーサルツーリズムとは、すべての人が楽しめるよう創られた旅行であり、高齢や障がい等の有無にかかわらず、誰もが気兼ねなく参加できる旅行のこと(参考サイトはこちらから)
取材・文:水野綾子 写真:永田雅之
《プロフィール》 河瀬 豊/愛美(かわせ・ゆたか/あいみ) 2011年から熱海と首都圏の二拠点をはじめ、2013年2月に熱海に完全移住。同年7月、夫婦で「株式会社伊豆おはな」を立ち上げ、現在6期目。創業支援プログラム「99℃〜Startup Program for ATAMI2030〜」第1期生。